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盛岡家庭裁判所 昭和37年(家)49号 審判

申立人 島田繁造 外一名

主文

本件申立を却下する。

理由

申立人らは『申立人島田繁造らの氏「島田」を「川村」と改めることを許可する』との審判を求め、その申立の実情として、

(1)  申立人島田繁造並びに同タミノは同居する戸籍上の夫婦である。而して夫繁造は昭和三十二年以来病気のため両眼ともに失明し、ために妻タミノは夫の外に現在二男四女を抱え農耕を含む一家の経営を主宰している。

(2)  申立人らの氏「島田」は、本来「川村」を称すべきであつたに不拘、「島田」のまま現在に至つている事情は次のとおりである。

(イ)  申立人島田繁造の祖母である訴外(亡)川村ナツは、(亡)川村和蔵の長女として出生した。和蔵には一男二女しかなく、当時耕地五町歩を経営するためには働き手を欲し、長女のナツに島田与八を婿養子として迎えたのであつた。しかるに右与八は和蔵との折りあいが円満にゆかず、入籍手続も経ないままに長男市太郎を養家に残したまま右与八の生家へ戻つてしまつたのであつた。

(ロ)  しかるに右与八と内縁関係にあつた川村ナツは同人と婚姻継続の意思をもつて同人のもとに行き、正式に婚姻届を了し島田ナツを名乗ることになつたものである。

(ハ)  ここにおいて、島田ナツの実父である川村和蔵は、長男蔵吉夫婦には七年間子もなく、その後出生した子も死亡、その後通算二〇年以上に亘つて子がなかつた関係上、如何にもしてその後継者を得ようと欲したのは民法旧規定時代の思想としては極めて当然の考えかたであつたと言わねばなるまい。そこで、さきに和蔵との折りあいが悪く、和蔵のもとを去つた島田与八はもともと和蔵の長女の婿養子として迎えたものであつたことは前述のとおりであるから、右両人の長男として出生していた島田市太郎を養子として貰いうけ、これに川村蔵吉のあとを継がせようとしたものである。

申立人島田繁造の父は、即ちこの島田市太郎である。当時市太郎は、漸く数え年五歳になつたばかりであつたが、市太郎の父与八は生家に戻つてはみたものの「一旦婿養子として川村家にやつた以上は島田家として引受けるわけにはいかぬ。」との冷たい仕打ちを受け、生家の物置小屋の一部に住まいすることを漸く許され、経済的にも困窮し、かつ川村家を去つたことを悔いていた矢先きでもあり、かつ同人らの間には次男仁太郎も既に出生していたので、喜こんでこの需めに応じ、爾来島田市太郎は事実上の養子として後年分家するまでは川村家に成育したものである。(但し、戸籍上の手続は怠つていた。)

(ニ)  右の事情で、川村蔵吉の養子として成育した島田市太郎も蔵吉が婚姻後二〇年後にして同人の長男政成が出生するに及び右市太郎を後継者とする必要はなくなり、更めて川村蔵吉の分家として家屋と耕地三反二畝を市太郎に与え世帯を分離したものである。

(ホ)  爾来、民法新規定施行まで右川村蔵吉方を本家とし「島田」の氏を名乗りながらも血縁の繋がる親類として農耕は勿論、冠婚葬祭、吉凶禍福の万般に亘り相扶け、相協力してきたものである。その二・三の例を挙げるならば、島田与八の死亡、島田市太郎夫婦の死亡、島田ナツの死亡等の葬祭、申立人島田繁造の婚姻、更に申立人島田繁造が昭和七年現役兵として入隊中川村蔵吉が死亡した際の休暇帰省が許されたこと(当時は親子の間柄でなければ休暇帰省は容易に承認されなかつた事実に鑑みても、右川村蔵吉が申立人のいわゆる「親代わり」として、旧軍隊においてさえも特別の扱いを受けることのできた血縁関係の繋がる間柄として承認されたものであつたことの窺われる一例といえよう。)等のことから、川村家は島田一家の本家として面倒をみてきたものである。

また申立人島田繁造は父市太郎死亡後も同人の耕地は少なかつたので、川村方の農耕を手伝うことが多かつたし、訴外川村嘉助(養子)を分家させる場合の親族会議、戦後、訴外川村利八方焼失の際の再建のための親類の協議等の重要な協議は勿論のこと仮令、法律制度上の親族会議は消失しても、相互扶助の精神として残る親類としての川村方の協議には、すべて参加している。

また、戦後の農地改革により、川村方の小作地五反歩は、申立人らに解放されたものである。

(ヘ)  これに反し、島田与八の生家たる島田家では当初から「仮令戸籍上の手続は経ていなくても、一旦川村家へ与八を婿養子としてやつた以上、島田の氏を名乗つていても島田家とは親類付きあいは断わる」と称し、既に島田与八死亡の時から葬祭等にも一切顔も出さず交際を断絶して数一〇年来今日に至つているものである。

(3)  かくて民法改正規定の実施とともに前叙の如き親族会議は廃止せられ、戦前の如き封建的関係に根ざす本家、分家の観念の温存は許されないであろうし、申立人らや申立人らの家族もまたそれを欲しているわけではない。

但し、新法と雖も現実に営まれる協力扶助の家族生活、これに基く親類相互の扶助の精神、祖先の祭祀の精神までをも否定しようとするものでないことはもとより当然であろう。即ち、申立人らは、川村蔵吉の後継者である川村政成一家とは現在まで続けてきている親類関係を基礎とした隣保扶助、相互扶助、祖先祭祀の精神を一層深め継続していくことを冀望している。

しかるに、前述の如く、既に数一〇年来親類としての交際は断絶している「島田」の氏をこのまま称していくことは、申立人らの生活感情を著しく阻害するものである。

(4)  更に、川村方を中心として親類が集まつて諸多の会合を催す場合でも、申立人らの氏のみが、ひとり「島田」を称しているために、姻族のふえるに従つて如上の縁由を知悉しない者からは奇異な感じさえ抱かれ、果ては次第に疎外される感じさえ受けるのである。

(5)  もとより申立人らは、申立の理由の蔭に税金や債務を免れるためにし、或は前科や犯罪を隠すために悪用しようとするが如き意図は毛頭ない。

また「川村」と改めることによつて、川村繁造なる同姓同名の者が生ずる虞れは、将来はともかく、現在申立人らの居住する矢巾村には、川村繁造なる人物は全く存在しない。

(6)  そもそも、氏は名と結合して人の同一性を表わし、戸籍編成の基礎をなしていて、これが変更はその戸籍に属する者全部に及ぶ。従つて、一般社会に対する影響、また名の変更の比ではない。もしも軽々に変更されるときは、一般人の迷惑のみならず、戸籍制度の円滑な運用をも阻害するのみならず、一般行政事務の上にも更には取引上にも甚大な影響を及ぼすことが考えられる。

この点、申立人らの場合は、申立人らの氏を「島田」にしておくことの利益よりも「川村」に改めることの利益の方が、個人的のみならず、社会的にも遙かに高いものであると考えられるのである。

(7)  以上、これを要するに「民法上の氏とは、一家を識別する永続的表示」であり、「家族生活の単位を表わすものとして、祖先に承けて子孫に伝えるものである。」とするならば、申立人らの氏「島田」は、本来「川村」を称させるべきであつたに不拘、申立人らの父祖らの戸籍手続上の懈怠によつて生じたものであることは、前叙のとおりであり、その点申立人らの父祖らも大いに悔いており、歿前からなんとか「川村」に改めることはできないものかと思案し、熱烈にこれを希望していたに不拘、遂にこれが冀望の果されぬままに死亡してしまつたものである。勿論如上の手続的懈怠の責任は、何等かの形において背負わなければならないとしても、これを申立人らのみならず、なお以つて申立人らの子々孫々にまで及ぼすことは、余りに酷であると考えざるを得ない。

即ち、如上屡述の如く申立人らの申立によつて「川村」の氏が回復され、申立人らが「川村」の氏を称することの方が、既に数一〇年来全く絶縁状態にある「島田」の氏を称することよりは、遙かに申立人らの社会経済的利益を増進し、かつ消極的にも民法改正規定の精神にも反しないばかりか、他に何等の悪影響をも及ぼさないことが明らかな場合には、正に戸籍法一〇七条にいわゆる氏を変更するにつき「やむを得ない事由」に相当するものと考え、本審判の申立に及んだ次第である。

と述べた。

よつて審案するに、申立人らが川村一族と深く交際して来たこと、申立人島田繁造が両眼失明し、川村家の援助を受けていることなどから申立人らの氏を川村に変更したいという気持は十分理解されるところであるが、そもそも、人の氏名は、その生涯を通じその人を特定し、その同一性を明かにする重要なものであるから、一旦定まつた氏名は濫りに変更を許すべきものではなく、殊に氏は夫婦親子共同体を表わすものとして、これを祖先に承け、子孫に伝えるもので、その変更の効果はその人だけに止らず同一戸籍内の者や子々孫々にまで及ぶもので社会的に影響するところは極めて大きいものがある。されば戸籍法一〇七条一項は氏の変更はやむを得ない事由のある場合に限る旨を規定しているのである。ここにやむを得ない事由とは著しく珍奇なもの、甚だしく難解なもの、外国人と紛しいもの、その他その氏の継続を強制することが社会観念上甚だしく不当と認められるような場合であると解されるところ、申立書添付の戸籍及び除籍の謄本によれば、申立人の先代島田市太郎は、明治四十年六月十七日父与八死亡により戸主となり、島田氏を承継し、申立人島田繁造は明治四十四年三月二十五日その長男として出生し、父島田市太郎が昭和六年十二月三十日死亡によりその家督を相続し、既に永年島田の氏を称していたことが明白であつて今日にいたり申立人らがその実情として述べるような事情があつたとしても、これをもつては未だ氏の変更をするについてのやむを得ない事由があるものとは認められない。

よつて本申立を却下することとし、主文のとおり審判する。

(家事審判官 大塚淳)

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